ベロニカは死ぬことにした:自分自身を解き放つ?
ベロニカは死ぬことにした
パウロ コエーリョ
いや~~深い・・!深い内容でした・・・!!
現代の日本にも蔓延するうつ病がテーマでしたが、哲学的な内容でした。
最後の結末は想像もしなかった大どんでん返し。
してやられました
どんなお話かというと、自殺未遂をした女性が収監されたところは病院は病院でも精神病院。
自殺未遂の影響からそもそも望んでいた死を宣告される若き女性。
彼女を取り巻く周りの精神病患者たち。
彼らとのやり取りから次第に死から生を望むようになる女性・・・。
ね?
深いでしょ。
私もよく周期的に(特に生理前なんかは)プチうつ病になることがあるんですが、読んでて彼女の心境がところどころですごく良くわかりました。
自分は何のために生きているのか?
親のためなのか?
(自分をよく見せるために、)客観的に見た自分を演じる為なのか?
他人と自分が違うということを知るためなのか?
いや~~ホントいろいろ考えさせられます。
人って社会に出てるとまわりと同じということで安心するってことがよくありますよね。
そのために努力するところはして、直せる所は直して、合わせられる所は合わせて・・・みたいな。
でもそれは本当の自分自身ではなく。
じゃあ自分っていったい何なのか・・・?
途中かなりきわどい描写も出てくるんですが、このお話の中でとにかく自分自身を放出すること、さらけ出すことというのが出てきます。
そしてそれを抑制するものの存在。
これは海外のお話ですが、日本にもこういう言葉がありますよね。
出る杭は打たれる
目立つこと・目立たないこと、どちらかといえば目立たないことが美のような風習がありますよね日本って。
他人と同じように行動し、同じであることを何とも思わない生活。
今は起業とかもはやってるので違ってるかもしれませんが、ちょっと前はなりたい職業の1位って言うと公務員だったらしいです。
これって典型的かも
まあでも先人たちのおかげもあって?今の時代はけっこうこの風習も変わりつつあって、何でも有りですよね。
(出る杭は打たれるって言うのは変わらないですけど・・)
なので私のように結婚しても子どもつくらない家庭ってのもおかしくはないってことで。
この物語の中だったとしたら、それはもう狂人扱いだったことでしょう。
私とて、他と違う生き方をわざと選んでしてるわけではないんですが、なんか考えてみるとけっこう特殊のようで。。。
でもそうすると今度はそれを公言することができないって言うか。
なので私なんかはやっぱり自殺未遂前の彼女(ベロニカ)のように、自分を押し殺して必死に生きている一人なのかもしれません。
そろそろ私もなんとか自分自身を解き放たなくては・・・!!
みんなと同じで安心していた頃は変わってるなんて言われたらショックだったろうけど、今はもう変わってるなんて言われちゃったら褒め言葉かと思っちゃうかも(=’m’)
映画は真木よう子さんって方と、イ・ワンさんって方がやられたみたいですけど、話題にもなってなかったですよね?!
本書も各国で大ベストセラーだったそうなんですが、いや全然ノーマークだったんですけども・・・。
でも映画化がどんな風だったのかちょっと見てみたい気もします。